島田市金谷にお茶の郷博物館がある。江戸時代,金谷は遠江の国に属し、大井川をはさんで駿河の国との境界に位置した。遠江の国は遠州とも言われ、小堀遠州の名は家康から遠江守(栄誉名)に叙せられたことに始まる。大井川と駿河の国を望むように、博物館に付随して縦目楼(しょうもくろう)と名付けられた建物と庭はある。 小堀遠州は徳川家康から家光にわたり将軍家の茶頭を務めるとともに、仙洞御所、二条城等の造営、作庭を指南、指揮している。大名にして茶人であり、今日的に言えば建築家でもある。 遠州は書院のなかに茶室を組み込み、利休の草庵の茶室の「わび、さび」から華かさを加味した「綺麗さび」を創出したとされる。 この茶室は小堀遠州の住した京都伏見奉行屋敷の茶室と岩清水八幡宮の書院をつなぎあわせ、桂離宮の付書院の櫛形の窓を嵌め込んだり、外観の妻破風のデザインや、また仙洞御所の池舟回遊式の直線的な石積みの庭のデザイン(現存せず)等々「遠州好み」を取り入れている。 |