コラム11  智満寺(静岡県島田市)

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1●冬暖かく、夏涼しい家 2●無垢の木 3●坪単価、見積り 4●中庭、屋上庭園、空中デッキ 5●小堀遠州 6●非日常空間 

7●個室の集合が住まい? 8●木造、RC造、鉄骨造……混構造 9●水廻りのデザイン 10●漆喰しっくい、珪藻土、塗り物 11●智満寺

 
本堂
5間四方の密教寺院形式の本堂である。鎌倉末期から南北朝時代にかけて多く東国に伝わった形式である。
本堂の床の高さが地面から高く持ち上げられている。外周の廊下にたつと舞台から見下ろしているようである。












 作家永井路子氏の最澄の生涯を描いた「雲と風と」の中に最澄と広智菩薩(智満寺の開祖と言われている。)の関係が記述されている。

広智菩薩は下野の国(栃木県)の出身の僧で唐招提寺の鑑真和上の弟子道忠に最澄とともに門下であった人物である。広智菩薩は下野から比叡山、奈良の大寺への道中、この地に宿をとり、大杉の群生する千葉山が霊験新たかな場所であることを知り、また、東国への布教の足掛かりとして適地であると考え、大杉を後背にしたこの場所を選択したと思われる。延暦寺の台密を完成させたと言われる円仁も下野の出身の僧である。密教寺院の面影を残す本堂は円仁以降の建立であろう。智満寺は奈良、平安時代の仏教への思いを巡らす事ができる。






 かつて島田は江戸時代、箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川と読まれた東海道53次の宿場町である。その市内から北に10キロほど山奥に入った山腹に千葉山智満寺はある。天台宗の古刹である。国の重要文化財(important treasure)に指定されている。静岡県には国宝(national  treasure)に指定されている歴史的な建築物やそれに附随する彫刻等の美術はなく、貴重な歴史遺産ある。

  長い石段を上ると仁王門があり左右に金剛力士像が構えている。さらに20段程石段を上ると中門がある。中門をくぐると、そこには地上にはない別世界がある。山の斜面をならして締め固めた土の小さな境内は周囲を杉の木立に囲まれ、その空間はひんやりとして回廊の中にいる印象である。

 本堂は茅葺きの入母屋の屋根で、本堂の内陣には御堂の形状をした大きい厨子があり、厨子の中に納められた本尊は千手観音菩薩像の秘仏で60年に一度開帳される。今川、徳川家も非常に手厚く保護したと伝えられ、本堂の天井には葵の家紋が描かれている。現在こそ柱、壁、天井に塗られた色彩が褪せているが当時は朱色に彩られた密教の寺であったであろう。

 かつて中学の遠足で訪れた時に本堂の縁の下に蟻地獄を発見し、蟻を落としては観察した事を覚えている。殺生に背く行為であったと、今にして思う。

千葉山智満寺ホームページ

仁王門から中門を望む。
左に吽形(うんぎょう)、右に阿形(あぎょう)の金剛力士が見える。